あとは眠るだけ
ときどき、とても幸せな気分になる。幸せなときには、目を瞑っても怖くないし、今が幸せなら、これから死ぬまでに何があっても、自殺することはないだろうな、なんて思える。誰も彼もが死んだあとに、それでも残っている静けさについて考える。死後の世界を見ている僕は、もちろん死んではいないのだけど、僕が今生きている世界をぼんやり見ていると、まるで僕は生きていないみたいだ。 長いこと悪夢ばかり見ていた。悪夢は多分、曖昧な不安や恐怖に形を与えている。形がないと、それを遠くに追いやることも、それから少し離れて見ることも出来ない。心は一箇所傷付くごとに、全体的に少しずつ悪くなるみたいだ。具体的にひとつの大きな理由があって苦しい場合もあるだろうけれど、大抵は不安や恐怖は掴み所がないし、しかも心は嫌な感情にもその内には慣れてしまう。自分が感じていることの殆どを無意識で覆ってしまうなんて簡単なことだ。多分、自分の感情にはとても多くの盲点があって、意識的な凝視からは無意識の部分は守られている。 心が海のようなものだとすると、少しのゴミならすぐに浄化出来るけれど、一度全体が澱むと、段々にそこには誰も棲めないようになって、それにも慣れてしまうと、なかなか元のようには戻らない。別に自然のままでなくても、生活には意識的に公認された(と思える)秩序を持ち込めば、取り敢えずは生きては行ける。笑いたい気分になることは出来なくても、笑うべき状況で笑ったふりをすることは出来る。みんな笑ってるけど、僕は笑いたくないから笑わない、って言えれば楽なんだけど、大抵は面白くも何ともないところでばかり笑っていないと、年甲斐もなく自分勝手で不機嫌な奴だと見なされてしまう。笑ってても疲れるし、笑ってなくても疲れるし、中途半端にどっち付かずだともっと疲れるから、一人きりになって思いっきり何時間でも苦虫を噛んでいた方がずっと楽だし楽しい。もし、ひととひとが同じ状況で、楽しいふりじゃなくて期せずして笑い合えたら、人生なんてそれだけで素晴らしいものだ思うけれど、そんなことでも奇跡的で、一緒に泣けることは、それ以上に滅多にないことだ。通じ合える、って曖昧な言葉だし、幾分感傷的で自分本位なのかも知れないけれど、心の中にはいい感情でも悪い感情でもなく、ただ何かを求める感情が常にあると思う。死ぬまで決して無くならない、自分が自分である根拠でもある場所。それは粉飾出来ないし、いくら何かを身に纏って、外面的にも内面的にも変化し得たと思っても、変わらずに何かを求め続けている場所が、心の中にはある。もちろん、僕には結局は僕の心しか分からないし、他人には僕の心は分からないのだけど。 死んでも残り続けるだろう自分以外の何かが、自分の中心なのだ、って言う気がする。それが勘違いなら、僕の存在は全て勘違いなんだろう。 人の心は、多分放っておけば勝手に何かが育つように出来ているのだと思う。かといって動物のように野放図では暮らしていけないので、ある程度は手を入れないといけないのだけど、手を入れすぎると死んでしまう。人にどう思われるか、ということをあまり気にせずにいたいのだけど、一度考え始めてしまうと、緊張して何もかも不自然になるし、それに疲れると何もかも放棄してしまって、妙に苛々してしまう。 何も出来ない一日が二日になり、一週間になり、一ヶ月になると、もう自分で自分を見放してしまう。何も書いていないし、何も読んでいないし、何処にも行かずに、思い出せる限りの毎日をベッドの中で嫌な汗を掻いて、ふやけきって過ごしているのだから。自分に対して甘かろうが厳しかろうが、自分のことは誤魔化しきれない。何も出来ないことが当たり前になるし、生存のためにどうしても必要な動作以外は、ひたすら外界の情報と思考をシャットアウトすることだけに懸命になってる。そうなると微かな音や光、それどころか自分の身体の音やちょっとした痛みまでもが不安を増長させる材料になる。そんなのは何でもないことは、知識としては知ってる。 何だか時々、自分が順番を待つ死刑囚になったみたいだ。どうせ死ぬけれど、他人が処刑されている間だけは安全でいられる、って言うような。毎日落ち着き無く生きてはいても、どうせ近いうちに死ぬのだから、それなら早々と自分の番にしてもらおうとか、あるいは誰かに手を下される前に自分で死にたいとか考えてしまう。そこに囚われない為にどうすればいいのか分からない。心にはいつもひどく暗くて惨めな場所があるというだけだ。でも、それだけじゃないと思う。でも時々はそれだけしかないみたいに思える。
自分の精神や身体とは四半世紀も付き合ってきて、やっとほんの少し特性のようなものが分かってきた。自分の身体がどうすれば動くのか、自分だと本当に分かりづらい。一度調子に乗ったらかなり集中して何かを出来るのだけれど、そのときは何日も不眠不休になって、そのときだけはある程度のことが出来るのだけど、一度疲れ切って熟睡してしまったら、起きても疲れが残っていて、ずるずる今度は何日も寝てばかりで過ごしてしまう。
ヘッドホンを折り畳んだ、
ゲームのコントローラーを置いた、
、雨が降っていて、
テレビの画面はいつまでも光っていた、
、コーヒーは冷めていて、
底の方には、砂糖が溜まっていた。
(眠ります)